商品詳細
菊池槍 藤馬尉行広(後代) Kikuchiyari [Toumanojou Yukihiro]
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保存刀剣 NBTHK Hozon Paper
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No. A00446
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白鞘 銀無垢一重ハバキ | |||||||||||||
刃長 : 18.4cm (6寸1分弱) 反り : 内反り 元幅 : 2.1cm 元重 : 1.8cm
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登録証: 大分県教育委員会平成04年09月09日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会保存刀剣鑑定書 平成25年08月15日 |
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説明: 菊池槍は、肥後の延寿鍛冶が作った片刃の槍で、多くの士卒が持ったために菊池千本槍ともいう。 初代:行広は初代忠吉の婿養子であった橋本吉信の次男として、元和3年に生まれ、通称を九朗兵衛といい、兄に河内大掾正広がいる。行広家は連錦が続き7代まである。そのうち「藤馬尉」を冠するのは2代、そして5代と6代がある。 5代行広は、藤馬尉・藤馬允・藤馬丞を冠し、18歳で父を失ったので、6代忠吉の門に入って修行する。享和2年(1802)52歳までは健在というが、なお文化6年(1809)の作品が現存する。 6代行広は、清助といい、藤馬尉を冠し、天明6年(1786)に出生する。嘉永7年(1854)4月調べの「長瀬町竈帳」にその名が記載されている。「刀鍛冶 六拾九才 橋本清助」屋敷は現在の佐賀市長瀬町99番地であった。この「竈帳」の作成された年、つまり改元されて安政元年の11月3日に病没した。行年69歳、法名は浄西居士、墓は合葬されてはいるが、長安寺に現存する。 本作と書風を同じくする菊池槍の類例が遺されており、それには文化6年(1809)の裏年紀がある。5代であれば59歳、6代であれば23歳に相当するものであるが、年齢的には6代の自身作、或いは6代が5代の代作代銘した作品であろうか。 |
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備考: |