商品詳細
大小 雲州住忠善造之 応山縣高光氏需 (川島忠善) 昭和二二十二二年仲秋 (無鑑査) Daisho [Kawashima Chuzen]
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保存刀剣
無鑑査 MukansaNBTHK Hozon Paper
Mukansa |
No. A00392
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白鞘 金着二重鎺 | |||||||||||||||||||||||||||||
(大)刃長 : 71.0cm (2尺5寸0分半) 反り : 2.0cm (7分半) 元幅 : 3.3cm 先幅 : 2.5cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm (小) 刃長 : 55.8cm (1尺6寸0分半) 反り : 1.2cm (4分) 元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.2cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.5cm
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登録証: (大) 島根県教育委員会昭和45年04月14日 (小) 島根県教育委員会 昭和48年5月29日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会保存刀剣鑑定書 平成26年05月13日 |
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説明: 川島忠善(二代)刀匠は、本名を川島真といい、大正12年8月15日、島根県仁多郡に川島忠善(初代:善左衛門)の子として生まれる。鍛刀の業は父である初代:川島忠善に学び、父子ともに地鉄が強い鍛えで、その刃味は鋭いことで知られており、昭和を代表する名人である。 初代:川島忠善は明治25年に島根県の出身で、聖代刀匠位列一覧では貴品の列 最上大業 横綱格に挙げられる。昭和20年の終戦後、多くの刀鍛冶は作刀することが出来ない不遇の時代を過ごさねばならないが、川島忠善父子も同様であった。しかし、昭和26年、第二次世界大戦後の平和条約であるサンフランシスコ平和条約が締結された。サンフランシスコ平和条約によって、日本国の主権が承認され国際復帰をはたし、連合国による占領と戦争状態が終結した。 昭和26年9月8日に署名、翌年の昭和27年4月28日に発効された。初代:川島忠善はサンフランシスコ講和記念刀を製作する栄誉を得て、これ以後、多くの現代刀匠も鍛刀を再開することが可能となった。そして、昭和31年、64歳で歿するが、晩年は子の二代:忠善の代作もあったようである。 奇しくも、二代:忠善の作刀認可年月日は初代:忠善が歿した同年の昭和31年9月29日で、やはり父の晩年は代作に従事していたのであろうか。 二代:忠善も初代と同じく、古作:長船長光を範とした備前伝を得意とした。当時のコメントとして「現在とかく華美になりすぎる感がある。あくまでも日本刀であるから、使用する事は無くても実用的である事を忘れてはいけないと思う。美術的で、折れず、曲がらず、よく切れるという事を念頭において鍛刀せねばならない」。受賞歴として戦時中は、刀匠協会展、金・銀牌。戦後、作刀技術発表会、努力賞1回、優秀賞3回、特賞3回、新作名刀展、努力賞1回、奨励賞2回、毎日新聞社賞1回、文化財保護委員会委員長賞1回、名誉会長賞1回と数多く受賞する。昭和47年、無鑑査刀匠に認定される。 本作は、川島忠善(二代)刀匠の大小の作にて、昭和44年は46歳のものとなる。大小ともに、姿、元先の幅差、重ね、反り、肉置き、そしてバランスがよく手持ちが非常に良く名人といわれるこの辺りも名人といわれる所以であろうか。地鉄は、板目に刀は杢を交えて、脇指はやや柾がかり、いずれもよく錬れて強い鍛えをみせている。刃文は、互の目を主調に、小互の目・丁子風の刃・尖り刃など交じり、総じてやや逆がかりといった刃取りとなり、古作:長船長光にも同様の逆がかった態がみられところとなっている。匂勝ちに焼頭などの刃先には強い沸をみせ、匂口が冴えて、迫力あるものとなっている。大小にて、数寄者から特別注文に応じて鍛刀したものと推察される。 |
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備考: 無鑑査 鎬地など部分的に小さな点状の錆がみられます。 |