冥賀富吉翁

-喘喜堂(柴田光男先生)筆-

 

 「小生は、何を書いても戦争と戦後につながってしまうんです」と書かれた故著名作家がおられた。私なども作家ではないが、いつも拙文を書いていると、いつの間にかついそのようになってしまう。私は、大正12年(1923)8月に栃木県鹿沼市に生まれた。父は足尾、母は日光である。昭和の初めに東京:杉並に移住し、本籍も杉並区高円寺にある。今までの人生の九割以上も東京に居た訳だから、東京住人というべきであろう。しかし歳をとると、何か生まれた処という不思議な御縁のある場所が妙に懐かしく思い出される。数年前、テレビ東京、12チャンネル「開運なんでも鑑定団」で鹿沼の出張鑑定があった。その折鹿沼の商工会議所の方々、そして刀剣関係の皆様が非常に喜んで大歓迎を受けてから「アア生れ故郷はいいなあ!」等と更に強く意識するようになった。永く東京におりながら栃木県の人と聞くと、とても懐かしく、その後親しくさせて頂いた方々がたくさんおられる。なかでもこの栃木県佐野市の冥賀富吉(みょうがとみきち)氏には、長く深い御交誼を賜り、お世話になった一人である。

 冥賀富吉氏の二男、冥賀吉也氏がその御縁で私の門人となり、現在独立され、日本刀剣商業界の中心の一人として活躍しておられることは、皆様よくご存知のことである。昨年ある宴会の折、久しぶりで吉也氏に会い、いろいろと父上の話が出て「是非、御写真を拝借できまいか」と頼んでおいた処、此の度、御長男:冥賀明儀氏から、ご丁寧な手紙と共に、御写真、御略歴をいただいた。本当に懐かしい。さて私が昭和15年(1940)より、東京:九段の藤代義雄先生の店(藤代商店)にいたころの話であるが、冥賀富吉氏がご来店になられた。藤代義雄先生のとく子御奥様は、栃木県佐野市の大きな料理屋さんの娘さんで、後で分かった事なのだが、その夫人の御紹介、御媒酌をされたのが、この冥賀富吉氏であった。お親しいのも当然である。さて戦前のことはともかく、御親交を頂いたのは、戦後の事で、特に昭和22年頃から、佐野市内に当時有名な刀剣商:前島兼一郎氏がおられた。佐野市内三ケ月神社の社務所にて、毎月14日、大きい刀剣と骨董の交換会が開催されていた。私も必ず出席して、たくさんの方と知り合いになった。佐野会に行く度に、会が完ってから佐野市犬伏町の冥賀氏宅に必ず立ち寄り、御馳走になったものである。たくさんの剣談、教訓を頂いたが、特にお世話になったのは、佐野唐沢山神社に野州刀工:徳次郎守勝の脇指を御奉納した折の事である。

 昭和46年(1971)、私が長く所持していた、数少ない野州徳次郎守勝(時代室町後期)を、最高に研ぎ上げ、上箱を造り、今は亡き佐藤寒山先生に「奉光の進」という立派な御箱書きをして頂き、御納めさせて頂いた。「お前、いい事をするなあ・・・」と、後にも先にも大層、寒山先生からお褒めの言葉を頂いたのは、この一つ位であろうか。現在は、栃木県文化財に指定して頂き、神社の宝物の一つとして大切に秘蔵されており、本当に有難い事である。その折の総ての奉納の段取り支度を、冥賀富吉氏が一人でやって頂き、今も感謝にたえない。当日は、神社の拝殿にて、立派な奉納の儀式をやって頂き、神社からの御饗応にあがったのも、つい昨年の事のように懐かしく思い出される。 今にしては、栃木県にちなむ野州守勝よりも、佐藤寒山先生の雄渾な御箱書が凛然と輝き、貴重なような気がしてならない。

 さて、冥賀明儀氏から、父上の略歴を頂いたので紹介させて頂く。明治39年(1906)11月20日、栃木県佐野市に生まれる。17才の時、鎌倉にて本阿弥光遜氏と出会い、刀剣に興味を持ち、その後、本阿弥光遜氏に師事、次いで藤代福太郎氏、藤代義雄氏に師事するなど、刀剣界諸氏の指導を仰ぐとともに親交を深めた。この間、藤代義雄氏と奥様の媒酌をつとめる。また宮形東雲氏、内田疎天氏とは刀剣や酒を通じての無二の親友であり、柴田光男氏を終生の師と仰ぎ親交を深めていた。戦前においては、佐野の地に藤代義雄氏を招き、研究会を催すなど、中央と地方のパイプ役として活躍し、戦後も刀剣界の復興に寄与した。刀剣の傍ら、書画の研究家としても知られ、渡辺崋山、谷文晃、椿椿山等に詳しく、特に、幕末から明治にかけて内外で名声を博した画家:田崎早雲の鑑定にかけては、第一人者として知られていた。栃木県美術商組合連合会会長、栃木県防犯協力会会長・相談役を歴任。刀剣をこよやく愛しながら、戦中戦後の苦しい時代を生きた父が病床にて書き残した和歌の中から、最後の筆になるものを参考までに紹介させていただきます。「人生の 憂い変転はひと世の常 楽しく生きよ命のかぎり」刀剣をとうして楽しい生涯をおくった心境が詠まれているように思われます。

昭和54年(1979)10月15日永眠(73歳) 諡:顕功院勧誉富岳大居士

 

菊新聞 第390号 平成14年(2002)3月15日より